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長谷川櫂「句会入門」

長谷川櫂さんの近著「俳句入門」を読みました。実際の句会を15回も開いて、それをドキュメントするという手法で、句会の進め方やマナーなどを説いたなかなかいい本であると思います。俳句入門書はいっぱいあるけれど、「句会」に絞った本は、ひょっとすると古舘曹人さんの「句会入門」(角川選書)以来でしょうかね。とても勉強になります。Img_1522

ただこの本で1箇所だけ、吟行には二つの「C」はいけないと書いてあったのは、正論ながらやっぱりちょっと引っかかりましたねえ。「C」とは車とカメラのことです。車で吟行する人なんかいないでしょうが、カメラを撮りながら俳句を詠む人は結構いて、それがまた実にいい句を詠むんですよ。カメラは対象に向う「嘱目」を妨げるというのが櫂さんの考え方ですが、優れたカメラ俳人は、たぶん写真と俳句の嘱目はそれぞれ別な次元のものとして脳で切り替えているような気がしますが、いかがなものでしょうか。Img_1518

私もまた、ごらんのようなデジカメとケータイで、写真を撮りながら俳句も詠んでいるわけで、おそらく私の場合は集中力が低下して、カメラも俳句も両方ともダメという結果になっていることが多い(笑)、まさに櫂さんの言うとおりになっちゃっています。でもこのブログもあるからなあ、やめるわけにもいかないなあ(笑)。困った困った(苦悩)。


極月の小さきカメラに充電す       大波

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俳句」カテゴリの記事

コメント

わたくしも吟行にはカメラを持参しますが、親分と同じ理由で、ブログに掲載するために撮りますから、あくまでも写真として撮りますので、俳句の「嘱目」とは関係ありません。古流さんもそうではないかな。写真として面白いから撮っている。俳句として面白いから詠んでいる。

よく写俳とか言って、写真に俳句を貼り付ける人がいますが、ほとんど付き過ぎで、写真が字で汚れるだけだし、俳句が写真で説明されてしまうので、鬱陶しい。俳句は俳句、写真は写真。

学芸会なんかでカメラやビデオをのぞいている親が一杯いますが、あれは馬鹿。子どもを見守る目というのはカメラの目ではないから。ちゃんと劇を見てやれよ。

それと同じようなもので、俳句は季題に対する挨拶ですから、カメラ構えながら挨拶できるわけがない。カメラ構えながら握手の手を差し伸べられたら不気味。

投稿: 猫髭 | 2010年12月16日 (木) 10時15分

吟行にカメラ。小生もその一人です。
ホームページ作成のためというもの一つですが、季語のバリエーションを増やすツールに使っています。
この花はなんだろう? と思ったとき、詳しい人がすぐ近くにいればいいですが、たまたま一人だったり、誰かに聞いてもお互いに「さあ、なんでしょうね」とか「「○○の仲間でしょうね」くらいで終わることもあります。
それで、帰ってから撮った写真をパソコンで整理すると同時に、Web画像検索で調べまくって、名前を突き止めるのです。
そのあとは、ファイル名をつけて、電子辞書でも見られるようにカードに保存したりします。
これで、また次の年に同じことを人に聞くことがなくなります。記憶力の限界の分を、機器に頼るようなものですね。
ですから、吟行のそのときに、いい句を作ることには役立たないかもしれません。ただ、小生としては、修業の一つとして、カメラを持っていくのです。
あるとき、「今日はぜったい写真を撮らない」と心に決めて吟行したことがあります。そのときは、自分でも納得した句ができましたが、カメラを持たなかったことよりも、一緒に歩いた方に、句材をいただいたような気がします。
そのときのあらゆることが、句に影響するわけですから、句ってやっぱり「いただく」ものだと思いますね。

投稿: ちよぱら | 2010年12月23日 (木) 10時24分

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