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村上春樹と清水俊二

春樹さんの評判の新作をまだ読んでいないので、ここで彼のことを取り上げるのは、気が引けるのですが…。前にも何度か書いたレイモンド・チャンドラーの翻訳を、旧訳の清水俊二版と比較してみると、そうか、やっぱり、春樹は春樹でも角川春樹じゃないから、村上春樹の訳文は俳句の精神とはちょっと遠いかも知れないなあ、と思いました。例えば、清水訳「さらば愛しき女よ」と春樹版「さよなら、愛しいひと」の小説最後の数行を比べてみます。清水版「空気が冷たく澄みきっている日だった。はるか遠くまで見とおすことができたーーしかし、ヴェルマが行ったところまでは見えなかった」。これに対する春樹版「涼気の感じられる日で、空気は透明だった。遥か遠くまできれいに見渡すことができた。しかしさすがにヴェルマが向かったところまでは見えなかった」。お分かりでしょうか。春樹くんのほうが格段に具体的で分かりやすいのは確かですが、ちょっと説明のしすぎなんじゃないかなあ。「きれいに」とか「さすがに」とかは要らないと、添削したくなります(笑)。もちろん旧世代の私は、長年浸りきった清水俊二訳のチャンドラー世界から離れることができないんだと自覚しています。でも「俳句的」とは、「ハードボイルド的」と同義語なんだと、ここで改めて思ったことでした。

  遠雷や羊はみんなさみしがり(旧作)         大波

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