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天野忠の詩

私が詩を書く場合は、結構重い主題や重い言葉遣いの、いわゆる「重い詩」を書いてしまうことが多いのですが、自分が読む場合は、ほぼ絶対的に「軽い詩」が好きなのです。中でも、少し前に故人となられた天野忠さんの詩が好きで好きでたまりません。天野さんは京都の人でなければ出てこないようなはんなりとした軽いタッチで、老年と死と生のことを歌い続けてきた詩人で、どう逆立ちしても一行だって真似できないのですが、読めば楽しく、そして深く深く考えさせられてしまうのが常でした(今も…)。「これでまあ/七十年生きてきたわけやけど/ほんまに/生きたちゅう正身のとこは/十年ぐらいなもんやろか」(新年の声)といった調子で語られる詩、それを読んでしまうと、そうだなあ、オレの正身も七年ぐらいなものかしらん、などと考えてしまうのです。俳聖芭蕉が提唱した「軽み」って、こういうものなのかなとも思います。詩は、俳句と違ってすんなりと頭や心にはいってはきませんが、それだけに作者の息遣いや脈動のようなものがじかに伝わってきて、まことに興味深いものがあります。俳句好きの方にも、たまには天野忠さんの詩のようなライト・ヴァースに浸ってみることを、お勧めしたいですね。天野さんの詩のほんの一部分を、もうひとつ。「むかしという言葉は/柔和だねえ/そして軽い……」(私有地)

  老犬のうなだれ歩く沈丁花        大波

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