« 2008年9月27日 | トップページ | 2008年9月29日 »

「グーグー」余談~少女漫画と私

映画「グーグーだって猫である」の監督、犬童一心は18歳のときから大島弓子の漫画を読み始めて、以後30年間ずーっと大島ファンでありつづけたそうです。私たち戦中・戦争直後世代の男子は、少女漫画ファンであることなど口に出すのも恥ずかしいことでしたから、犬童監督のように男の子でありながら大島弓子フリーク状態になるというのは、全く考えにくいことでした。はっきり申し上げて、私が少女漫画をはじめて手にしてそのトリコになったのは、40歳を越した時からなんです。少年漫画家になろうという夢を持っていたぐらいだから、漫画の読書量はハンパじゃなかったのですけれど、少女漫画の世界だけは禁断の花園だったのですね。それがいったん自ら禁を解いてからは(たぶん「ベルばら」がきっかけ…笑)、一時とりつかれたように少女漫画の世界に没頭したのを覚えています。萩尾望都、山岸涼子、吉田秋生なんかよく読みましたし、最近でも羽海野チカ「ハチミツとクローバー」などに見事にハマってしまいました。そんななかで、やはり、大島弓子は別格で、彼女の作品に一貫している「別れと再生」のテーマは、いつも私を魅了しつづけました。映画の中で、サバという飼い猫の死と、夢と現実の境界でヒロインがサバの霊と再会を果たすシーンに、特に念入りに犬童監督が力を入れているのを観て、ああ、この監督はほんとうに大島漫画を愛しているんだな、と考えた次第です。ちなみに、犬童監督は好きな作品として「四月怪談」をあげ、事故死して肉体から魂が遊離したヒロインの棺に、大好きなレンゲの花が投げ入れられたことから魂が肉体に戻る5ページのコマ割りは、奇跡としか言いようがないと話していますが、全く同感です。

  一葉ながれ一葉とどまる秋の水       大波

| | コメント (0)

« 2008年9月27日 | トップページ | 2008年9月29日 »