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回想と写生

俳句の自句自解は、弁解や自慢話になりやすいので殆どやらないのですが、下の句については自分でも普段考えている問題と絡んでいるケースなので、ちょっと書いておきたいと思います。

  スケートの氷削れる音の過ぐ      大波

20年余り前に、私は単身で神戸に勤務していましたが、そのとき神戸で「N●●杯フィギュアスケート大会」が開かれ、私は主催側の責任者として毎日スケートリンクに通いました。ナマのフィギュアスケートというものを見たのはこのときが初めてだったのですが、特に競技前の練習の迫力に圧倒されました。スケートの刃が氷上を滑るとき、キラキラと氷の粉が照明に舞い上がり、シューッという音を発するのを今もなまなましく思い出します。あれはテレビ画面で見る華やかなバレエのような印象とは異なり、人間一人の全体重を乗せて走る二枚の刃をひしひしと感じさせる滑走音でした。なるほど、これはバレエではなくて、たしかに「スポーツ」なんだと思ったものです。この体験が、たまたまテレビのフィギュアスケート・グランプリを観たことに触発されて、なまなましい回想として蘇ったので一句詠んでみたのですが、こういう回想の句作を「写生」と呼べるのかどうか、私にもよく分かりません。みなさんはどうお考えでしょうか?

  ビル群れて蒼くけぶらふ年の暮      大波

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俳句」カテゴリの記事

コメント

わたくしもずっと考えていました。テレビを見たにしては、とても左脳で作ったとは思えないリアルさがある。かといって、その辺の素人の遊ぶスケートリンクではこの「氷削れる音」は掴めない。マンハッタンのセントラルパークのスケートリンクではこういう感じはしない。
思い出した。サン・ディエゴのモール街にあったスケートリンクで、夜になるとフィギュアスケートの卵や地元の大人がアイスホッケーの練習をしに来るのが、こういう「氷削れる音」がする。あるスピード、ある技量を超えた時に、

  スケートの氷削れる音の過ぐ

としか言いようの無いスピードとスリルを感じました。多分、大波さんはどこかでそういう景を見ていて、それが熟成して、たまたまテレビに触発されて出たのだろうと思い至りました。引出しが多い俳人は、こういうことがあると聞きます。二年後に、あのとき吟行に行った句がやっと句になったと言って見せてくれた俳人がいましたから。大波さんの代表作の列に加わる秀句だと思います。
回想は後ろ向きな行為ではなく、年を取ると、もっとよく行きたいという今を生きる行為に等しいと色川武大が言っていたのを思い出しました。

投稿: 猫髭 | 2007年12月21日 (金) 08時14分

俳句における写生は、対象と一体化することだと思うのです。
だから、吟行でも、おや、と思ったら、しばらく動けませんよね。
あの虚子でも、じーっとその場から動かなかったそうですから。
この句の場合は、一体化するのに20年の時間がかかったということなんではないでしょうか。
ですので、私見ですが、この句は写生だと思います。

投稿: ちよぱら | 2007年12月23日 (日) 11時04分

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