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「女流」という言葉

今手元にある俳書の題名を見ると、昭和11(1936)年の「現代名家 女流俳句集」(交蘭社)をはじめとして、ごく最近の平成3(1991)年の「平成女流俳人」(毎日グラフのムック)、平成5(1993)年の片山由美子「現代俳句女流百人」(牧羊社)等等まで、「女流」という言葉は何の疑いもなく使われてきました。「女流」は、女流詩人とか女流作家とか文学関係でよく使われるのですが、これは男性中心の文壇で女性に特別のポジションを与えて区別(差別?)しようという意識の表われのようにも見えました。恐らく平成11(1999)年の「女流俳句集成」(立風書房)あたりが最後の「女流」という言葉を使った俳書ではないでしょうか。平成4(1992)年に出版されたフェミニズム文学批評の決定版「男流文学論」(上野千鶴子・小倉千加子・富岡多恵子…筑摩書房)のショックで、「女流」という言葉は一掃された感があります。以後は例えば平成13(2001)年の「女性俳句の世界」(富士見書房)のように、「女流」はもはや影も形もなし。でも本当に「女流」と呼ぶ意識は完全に払拭されたのでしょうか? 私はいま同人誌「大」に「俳句よみなおし」を連載していますが、そのことの一端にでも触れることができればいいな、と思っています。乞ご期待。

  薄紅葉こそ佳けれ匂ふがごとく       大波

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