« 多摩の通り雨 | トップページ | わが青春のマリアンヌ »

俳句憑依論

暑いし、お盆休みが続いているし、ということで、「大」の定例句会の本日の参加者は4人にとどまりました。けれど句会は、7句出しできちんと成立。たとえ3~4人でも、頑張って定例句会をつづけるつもりですが、涼しくなったら、時間のある会員の方は顔を見せていただけませんか? 毎月第三金曜日の午後1時、渋谷パルコ前の勤労福祉会館。「大」会員諸賢のご来臨を、心からお待ちしています。

最近妙なことを考えています。俳句入門の本は山ほど本屋さんに並んでいて、作句法としてよく観察し写生することとか、自分の思いを季語に託して静かに詠むこととか、あれこれ書いてありますが、それよりも俳句の神様との交霊術のやりかたの本を作れば、ベストセラーになるのではないか、なんてね。だってよく言うじゃありませんか、「俳句は作るものではなくて、出来るものなのだ」「俳句は授かるものです」「集中して句材を見つめているうちに、あなたの頭に自然にふっと句が浮かんでくることでしょう」エトセトラ…。これって、オカルトあるいはスピリチュアルですよねえ。俳句を授かるって、いったい誰から? 何か俳句の神様のような神秘的存在があって、これがあなたの創造的精神に憑依したとき、たちどころに名句が生まれるのだとすると、必要なのはその神様を呼び出す呪文じゃないか。「やかなけり、じたらずじあまり、たさくたしゃ」とかね。あまりの暑さに、さしもの俳人のアタマのネジも次第に狂い始めてきたようでござりまする。秋よ、早く来い。

  空蝉の背中に忘れものないか     大波

|

« 多摩の通り雨 | トップページ | わが青春のマリアンヌ »

俳句」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 多摩の通り雨 | トップページ | わが青春のマリアンヌ »