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波多野爽波の句

自分が俳句的に煮詰まった状態のとき、あらためて読んでみる俳句があります。発想がブッ飛んでいて、読むものの意識を解き放ってくれるような俳句ですね。私にとっては、中村草田男なんかそうです。「空からきらきら雀の涙か蝉の尿か」…蝉の尿にしまってるでしょうが!「子は唱ふ母の白足袋光るとき」…ええっ、どうして歌うの? 長谷川双魚も、よく効く解毒剤です。「ががんぼを爪で弾きて泣く真似す」…いったいなんで、泣きまねを?「地にふれしふぐりにしやぼん玉の数」…なんとも言いようがありませんな。極めつけは、波多野爽波です。「焼藷屋腕の時計がコチコチと」「だからどてらは嫌よ家ぢゆうをぶらぶら」「のつぺりとして唖蝉とすぐ分る」…わかるもんですか!しかし、これら愛する俳人たちの句は、俳句における「自由」の精神というものを教えてくれます。本来俳句は、何でもあり、なんですよね。「川を見るバナナの皮は手より落ち 虚子」…やっぱり、大虚子は偉大ですね。こんなに自由な俳人は他にいなかったかも。

  春マスク鼻のかたちに凹みをり     大波

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